2009年12月12日
今議会、18日の個人質問がまじかに迫り忙しい日々が続きます。今日11日は金曜日、土日をはさんで14(月)には質問通告書を提出せねばなりません。
今日は質問内容に関して各担当部局とのヒアリングを実施しました。詳細は通告書を提出してからが正念場となります。
また今日は、会派「新政とよなか」の議会報新年号と私の市議会だよりの編集作業にも入りました。
会派としても私自身にとってもお伝えしたい内容がたくさんあり奮闘しています。
お届けできるのは会派の議会報が1月4日の新聞各紙の折り込みと郵送、私の市議会だよりは12月25日あたりから2.5万枚を順次ポステイングを実施します。
どうぞお楽しみにお待ちください。
2009年12月08日
米村さんの長男で、泰彦さん(当時20歳)が大学に行く途中、信号無視のトラックにはねられ、平成8年12月に亡くなられました。泰彦さんは「僕の方が青やったのに」と訴えて息を引き取ったという。
お父さんにギターを習い、音楽の道を目指して作詞、作曲をしていた息子さんの部屋からは、約60曲の遺作が見つかった。残されたメモには「自分の歌をたくさんの人に歌ってほしい」 「生まれ変わっても同じ歌を歌っていたい」と書かれていたという。
「息子の生きた証を残したい」とご両親は残された歌をCDとしてまとめ、追悼コンサートとともに交通事故防止の講演を始められました。
この講演を聞いた、豊中市でボランティアをする女性から、、豊中市が制作した介護予防体操の音楽として使いたいと依頼があり、2曲が使われました。
現在では、「豊中ローズ元気アップ体操」として多くの方に使われ親しまれています。
今回、感謝をこめて市長からご両親に感謝状が贈られ、ささやかながら関わらせていただいた関係で同席させていただきました。ご両親から息子さんの歌に対する想いや、元気だったころのお話をいろいろ聴かせていただき、胸が詰まる想いとなりました。
きっと墓前にご両親からいい報告をしていただけるのではないかと思います。
奇しくも明日12月9日が命日とお聞きしました。多くの豊中市民の心に彼の歌がいつまでも残るものと思われます。
改めて心より感謝とともにご冥福をお祈りいたします。
パナソニックの旧三国工場跡地(3.6hr)が大阪市にある北陽電機のロボット用部品の光学センサー工場、大手家具・雑貨小売りチェーンのニトリなど3社連合に再活用されることが決定しました。
こうした跡地については、大型量販店やマンション開発業者に譲渡されるケースが多いのですが、市は製造業者に売却するよう要望してきました。その背景には、この地が都市計画上の用途地域が工業地域であることや市の将来計画が大きく影響しています。
今回の結果は100点満点ではありませんが市の努力を評価するとともに地権者の協力にも感謝したいと思います。
私は議員になって以来、豊中市南西部のものづくり集積基地としての現状、空港や高速道路など産業基盤インフラが整備されている40万都市でありながら、何ら産業に関する条例を持たない不自然を主張し続けてきました。
その結果、会派の応援も得て昨年4月企業立地促進条例が成立しました。これまでに中・小いくつかの企業のほか大手製薬メーカー「塩野義製薬」の1000人規模となる新薬研究所の豊中市への統合や今回のケースなど、着々と産業立地都市としての側面が強化されています。
今後については、大阪国際空港周辺移転跡地、約10hrが「みずほ信託」によって開発整備されていることから、豊中市に残った貴重な産業用としての「種地」の高度で高付加価値な利用が求められます。
そのためにも、現在の「企業立地促進条例」を一部改正し、ナノテク、ハイテクの高付加価値企業や研究開発型企業など、立地環境を生かした企業誘致の促進を図ることが大切です。
いずれにしても豊中市発展の都市経営戦略は、
1.産業立地都市の育成と発展に努めること。
2.住宅環境都市として、更なる魅力づくり。
3.教育文化都市を本物にすること。
この3つの柱を中心に取り組むことにより、市民の安心・安全・快適、福祉政策の充実を図ることが大切だと考えています。
2009年12月05日
これまでにも多くの市民の皆様から相談を受けてきました。市政、住まい、漠然とした将来不安など、内容は公私両面にわたっています。
とくに最近多い相談は、厳しい社会・経済状況のもと、第一線で長年活躍された方々がリタイヤし、これからの不安、自らの行く末や人生の決着をどのようにつけるのかなど、非常に難しい問題もあります。
私はこれまでの30年の地域活動、民間での経験、FP(ファイナンシャルプランナー)の実務を通して得た相続問題や資産管理、不動産関連での蓄積経験が相談業務に役立ったと考えています。
とりわけ民生委員や地域福祉、自治会活動での地域密着体験は何事にも代えがたいものです。相談内容が解決した時や不安解消に少しでも役立てたとき、相談者の表情変化は何よりの喜びです。
母子家庭で育ち、多くの方に育てていただいた感謝の気持ちを少しでもお返し出来ればいいのだが … … …
2009年12月01日
会期は11月30日〜12月22日迄の23日間と決定。
初日は、各経済決算、病院、水道、公共下水道事業決算の議決、専決処分の議決、補正予算の関係常任委員会への付託などが決まりました。
その後各常任委員会をはじめ、12月18日から22日まで一般質問が行われます。(内容については後日、「市政だより」にて報告)
12月1日は、「新政とよなか議員団」として市に対し、22年度予算要望書を提出しました。
この「要望書提出」は、毎年この時期に行われているもので、市長や副市長、その他幹部が同席します。
要望項目は、すべての部局を対象に約200項目にわたります。わが会派の要望書の特色は「あれもこれも」のおねだり型からは程遠く、市政運営の方向性やアイデア、提言が中心でまさに豊中を変える「政策集団」の面目躍如たるものです。
これまでにも産業振興促進の条例制定や学校の耐震対策など、市政の政策変更を促す大きなものから小さなものまで実現したものは数えきれない程あります。
昨年の要望事項約200項目のうち40数項目が実現し、今年度のものから外され入れ替わりました。
(22年度予算要望書ご希望の方はお申し付け下さい)
今後も豊中の市政改革、市民の安心・安全・幸せ実現のため確実に成果を出し、皆様にご報告できるよう取り組んでまいります。
2009年11月30日
大阪市港区石田2丁目、この地は私の両親が若かったころ(70年近く前)住んでいた町で新婚時代の多くの思い出が残っており、子供のころからよく聞かされたものです。
両親は、戦争末期の大阪大空襲を機に生まれ故郷の淡路島に疎開し、戦後は故郷で2002年まで住んでいました。(居所は空襲で焼け野原になったとのこと)
その母からかねてより一度連れて行ってほしい、と頼まれていたが、楽しかった思い出が、跡形もなく消え去っているところを見せるのも気がとがめ、なかなか行けませんでした。
しかし、今回行く決心をしたのは、以前母が若い頃勤めていた思い出の地であり、かつての友人の出身地である宇治市への案内を先延ばしにしたため大失敗した経験があったためです。
その失敗とは98歳になる母が70年前の友達に逢いたいとの希望のため、忙しさと実現性の薄さから先延ばしにしていたため後日、退職直後の兄に頼んだら、会社も同じ場所にあり、その友人も3か月前まで存命されていたことが分かり、もっと早く連れて行ってやればよかったとの反省と自責の気持があったからです。
さて、今日の港区行きがどうだったかというと、安冶川沿いにあったその地は、戦後焼け野原になったのち川幅を広げるための工事があり、現在は川になってしまったと近くに住む老人から聞かされました。
結局、当時の思い出と重なる情景が何もなく、やけに幅広くなった川と石田2丁目という地名、記憶とは全く違った様子の小学校のみを母は確認することになりました。
過去への思い出探しが、母の脳裏にどう映ったのか、とても気になる一日となりました。
2009年11月28日
会場では豊中市内で頑張っている企業の紹介コーナーや地域一番店コーナー、各企業のプレゼンテーションなどが行われ、会場は満員大盛況の状況でした。
多くの人に地元豊中が大阪府内「ものづくり集積地」3大拠点の一つであることや珍しい企業があることを知っていただいたのではないかと思います。
これまで豊中市は、大阪市に隣接する住宅環境都市、教育文化都市を標榜し、「まちづくり」に取り組んできました。どちらかというと産業は正当な扱いを受けてこなかったきらいがあります。
私は7年前に議員に当選した時から、産業立地都市を加え3本の柱で「都市経営」を行うべきだと主張し、40万都市でありながら「産業政策」に関する条例を持たない不思議さを主張し続けてきました。
自分でも「議員立法」という形で条例案を考えましたが、結局市は、平成20年4月に企業立地促進条例を施行し、こうした政策を重視するようになってきました。
今後とも「教育文化都市」、「住宅環境都市」、「産業立地都市」の3本柱で厳しい都市間競争を乗り切っていけるよう貢献したいと考えています。特に今後は、「大阪国際空港」の活性化に取り組んでいきます。
午後は、千里文化センター市民運営会議が主催した「屋上緑化問題」の講演が千里文化センター「コラボ」で開催され参加しました。
2009年11月27日
今年度私は、審議会委員ではないため傍聴しました。
今回の議題は、緑丘と新千里西町団地地区計画が都市計画決定される件、豊中市都市計画マスタープランについてなどです。
緑丘については、良好な住宅環境を維持するため以前に一部の地区計画決定を実施していました。今回は面積を3倍に拡大し実施しようというものです。
新千里西町については、以前の大阪府住宅供給公社の賃貸集合住宅が建替え決定され、その跡地利用の有効な活用と住環境を守るために実施するものです。
都市計画で認められている容積率、建蔽率、高さ制限、隣地や道路境界からの後退距離、緑比率などすべての数値を通常の都市計画より厳しくしています。
今回の地区計画決定により、一般に売却され民間分譲マンションが建設される部分も住宅供給公社が建替える部分もこの規制を順守し、建築しなければなりません。
よりよい住環境を形成するため、地区計画は今後、いろんな地区に拡大していくことになります。
尚、大阪府住宅供給公社に対しては、長引く裁判で多大な迷惑を被った戻り入居者や近隣の方々に対してもよりよい建替え事業とするよう再度の地元説明を実施し、意見を聴くよう要請したいと考えています。
「豊中市都市計画マスタープラン」については、将来の豊中市をどのような魅力ある都市として再生させるかがかかっており、豊中に骨を埋める覚悟の私としては、あらゆる部門で関わっていきたいと考えています。
2009年11月26日
今日は、15名の議員が「くりのみ幼稚園」を訪問し保育の現場を視察したのち、連合会役員の皆さんと懇談しました。
豊中市の幼稚園教育は、公立と私立の人数比で約1対6の比率になっています。また、保護者の保育料負担は私立の場合、公立の3倍になります。
保育の質が公立が上かというとそんなことはなく、むしろ経営に危機感を持っている分、私立幼稚園は、より高い評価を得ているのかも知れません。
そうした中で、私立幼稚園に通わせる保護者と幼稚園経営者にとって格差の現実は大きな不満の種です。
私たちも何とか私立幼稚園に対する支援措置に取り組みたいのですが、市財政の現状は如何ともしがたい。同じ豊中市民の子供の保育にこれだけ官民格差があることは申し訳ない限りです。
格差の大きな理由はほとんどが人件費の差であり、今後は、公立幼稚園の民営化を進め、浮いた分を私立幼稚園の補助に回すべきだと考えます。
午後は、22年度予算編成に向けた会派の「予算要望書」の取りまとめ作業に没頭しました。
夕方近くになって新聞社の取材を受けました。
内容は、高齢化の進む千里ニュータウンの現状と問題点、今後の課題などについてでした。
30年以上地域に密着して活動してきただけに、どんな質問にも的確に対応できたのではないかと思います。
2009年11月25日
しかし、ほとんどの人が「ほんまかいな」と疑いのまなざしで私を見ていました。
それから1年余りたち今回、豊中市が「救命力世界一宣言」を実施することになりました。
豊中市は、市民や事業者の救命意識が高く、救命講習修了者数の人口に対する割合、また、救急隊数、救急救命士数の市域面積に対する割合など全国トップレベルを誇っています。
また、豊中市が属する豊能二次医療圏は、高度な救命処理を担う医療機関が充実しており、千里救急救命センターのドクターカー運用など、救命に対する最適な体制が取られています。今後ともこの恵まれた体制を充実強化させ、この分野で「世界一安心・安全の町とよなか」を継続発展させるため、政治のできる役割をしっかりと果たしていきたいと考えています。
尚、豊中市では年明け早々に記者発表します。
