2008年12月

2008年12月28日

 Googleで「福岡正輝」を検索すると出てきました。「福岡正輝」のホームページ。(Yahooでは出てこないんです)。しかもGoogleの検索で、忘れかけていた「福岡正輝」を発見!10年ほど前、福岡正輝は特許をとっていたんです。
 
 特許の申請書類ってややこしいらしいけど、いろいろ研究しながら一人で書き上げたのには、家族みんなで大拍手。そしてみんなで淡い期待を抱いたものですが、一社からの申し出を断り、特許は商品化されずすっかり忘れていた。

 昔から電磁波については、常に家電からの影響を気にしており、娘たちには「テレビから離れろ」「電子レンジの使い方に気をつけろ」など、よく注意されたものだ。
 
 携帯電話が世に出始めたころ、「電磁波が脳に悪い影響がある」というアメリカの研究発表をきき「ひらめいた」らしい。それを即、特許にと行動を移すところが、彼の素晴らしいところ。図面を見た娘たちは、電話の下に伸びているアンテナに「安室奈美恵のマイクじゃあるまいし」 「えーっ、かっこわるー」と言いながらも「商品化されて、おお売れに売れたらどうしよう」と夢見た一瞬だった。

 そんなこんなを思い出しながら、今も変わらず常に新しい試みに挑戦する「福岡正輝」にドキドキしながら応援する私ナノデアル。



fukuokamasaki at 21:35コメント(0)トラックバック(0)スタッフたちの戯言(byスタッフ) 

2008年12月27日

 12月19日に議会が終了し、年内に終わらねばならない用事も多い。そうした中で最重要なのは「市政だより」の作成。印刷から各戸配布までを2万枚、会派の新聞5千枚、国政レベルの配布も含めて合計3万枚、確かにきつい量だ。
 しかし、普段運動したくとも、なかなか時間が取れない者にとっては千里ニュータウン(豊中市域)とその周辺を走り回ることは絶好のトレーニングになる。
 そして何といっても、市民の方と直接顔を合わせ話せることが最大の収穫。
 挨拶をかわし質問・要望・苦情と何でもありだ。そうしたやり取りの中に、自分では考えも及ばない視点からの発想が新鮮でありがたい。今年もあとわずかだが、31日まで市民の思いや願いをキャッチするアンテナはフル稼働。

「まち」で見かけたらお声掛けください。   福岡まさき


fukuokamasaki at 16:32コメント(0)トラックバック(0)いろいろなお話(by福岡正輝) 

2008年12月23日

12月1日から始まった議会も19日に終了しました。
今議会は補正予算の審議、「ふるさと応援」寄付条例の制定などが行われました。
寄付条例については、まず市職員が率先してやってもらいたいものです。(市職員の約6割が他市に住んでいます)
豊中市に住む市職員は、豊中市に市民税を納め、交通費も少なく、危機事象発生時の対応も当然早い。もちろんどこに住むかは本人の自由だし、個別に事情があるのも仕方がありません。
せめて財政危機の間だけでも協力願いたいものです。

議会終了後に発行する「市政だより」がやっと本日できました。組織をもたない「市民派無所属」議員としては配布するのも大仕事です。(記事の内容も無所属だから特定の団体に余計な神経を使わずに済みますが)

千里ニュータウンを中心に2万枚、あとは郵便です。
配布ご協力いただける方、少しでも結構ですのでお願いします。


fukuokamasaki at 23:58コメント(0)トラックバック(0)政治に関するお話(by福岡正輝) 

2008年12月16日

 「書くよりしゃべる」そんな私ですので活動報告は議会後のビラ配布で精一杯と思っていたところ、「ホームページを作れ」とうるさい家族に押し切られ、立ち上げることとなった。確かに「福岡正輝」で検索して市の議会しか出てこないのはさみしいかも。
 これまで議会後のビラはB5の4ページを書き、自分で印刷し、半分に折り、各戸配布に街頭配布、支援者に一部助けていただいてはいるものの、ほとんどは家族で配る。97歳の母親の紙折りもリハビリ、各戸配布も健康のため市民との触れ合いの場と思えば苦にならない。ハイキング気分で一緒に配ってくれる妻にも感謝である。
 しかし、2万部のうち何人に読んでいただけるか、それを思うとブログというものは、書くだけで読み手がわざわざ訪れて目にしてくれる。意見まで言ってくれるのはなんとありがたことか。
 しかし、やっぱりこれも家族の手作り。無所属で組織援助のない私はやはり家族と個人支援者のお世話になることは否めない。ここは素直に従うことにしてこれから苦手な日記に挑戦!致します。 
 

fukuokamasaki at 23:33コメント(0)トラックバック(0)いろいろなお話(by福岡正輝) 

2008年12月15日

 1985年、阪神タイガースを20年ぶりに優勝に導いた吉田監督が連発した「一丸」を頂いて、家族新聞「いちがん」を発行したことがあった。あれから23年、新聞はもうとっくに廃刊になってしまったが、編集長としては、この「ブログ」は「いちがん」の再発刊のような気がして、うれしく感慨深いものがあります。
 当時は小学生の二人の娘が主役で、夫婦が一丸となって二人の成長を見守り応援するものであったが、その娘たちも大きくなりすぎるくらい大きくなり、編集長の座も奪われてしまった。
 このブログは主役交代、がんばる市議会議員「福岡正輝」を、家族一丸となって支えていきたい、そんな思いを込めてスタートいたします。


fukuokamasaki at 23:25コメント(1)トラックバック(0)スタッフたちの戯言(byスタッフ) 
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