2010年02月

2010年02月20日

 2月19日は私の母の誕生日です。明治44年2月19日、兵庫県淡路島で生まれ今年で99歳になりました。

 母が生まれてからの時代の変化と自身の過酷とも思える環境変化にはすさまじいものがありました。
もの心ついたころには電燈はなく、石油ランプのススとりと水汲みが子どもの日課だったとか。それが今やヨーロッパにいる兄とコンピューター通信によるリアルタイムな面談も可能となり、楽しみにしています。
 また、長く生きているせいか歴史を感じる出来事にも遭遇しています。小学生だった頃、船員だった祖父が1918年に世界的大流行となったスペイン風邪で神戸にて死亡。その後、祖母が何人もの子供を女手一人で育てました。
 母自身は、新婚時代に船員だった父親と大阪市港区で生活していましたが、大阪大空襲のなか、命からがら生まれ故郷の淡路島に疎開、戦後はその時の恐怖から帰阪せず淡路島に定住しました。
 私はそこで生まれましたが、昭和36年9月16日、第二室戸台風で優しかった祖母と2人の従姉弟が犠牲に、さらに同年11月24日に父親が海難事故で死亡(行方不明)し、私自身子ども心に何と悲しいことばかりが続くのだろうと絶望状態になったものです。
 
 その後母は、一生懸命働き私たち兄弟を大きくしてくれました。特に気のきいた教育法があったわけでもなく、何事にも一生懸命で優しかった母の背中を見て、また、となり近所や親戚まわりの物心両面の支援が私たち兄弟を育ててくれたと感謝しています。今考えても苦しい時代を生き抜き塗炭の苦労も前向きにとらえ、弱音も吐かず一生懸命生きてきた人。

 その母も、息子たちが独立した後も淡路島で長年一人で暮らしていましたが、阪神淡路大震災の直撃を受けるとともに、寄る年波には勝てず91歳になってからやっと私の要請を受け、大阪で同居することになりました。最初は慣れない地で戸惑っていましたが、今ではすっかり慣れ、新聞とデイサービスに行くのを楽しみにしています。

 そして、その母の誕生パーティに近所の方々や娘たちも駆けつけ、ささやかながらも楽しい催しをしました。
スロバキアから兄が、ロンドンから孫娘も電話で参加し、いつも通りの「手作りくす玉」も登場して大騒ぎでした。
みんなの要請で、「教育勅語や子どもの頃の歌」、教科書に載っていた「梅干しの歌」など集まった人たちの感心と応援も手伝って得意満面。
 最後は、いつ迎えが来るかわからんけんど「ありがたいこっちゃ」で合掌… いつまでも元気で長生きしてな。


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2010年02月16日

 本日15日(月)、池田市民文化会館(アゼリアホール)で、大阪空港問題タウンミーティングが開催され、
副題として〜関西の発展のため、どうなる・どうする?大阪国際空港〜 と題して活発なパネルディスカッションが展開されました。

 出席者は
     
大阪府知事                 橋下 徹
箕面市長                  倉田 哲郎
関西大学教授               高橋 望
(株)空港専門大店 代表取締役    堀内 昭宏
(社)池田青年会議所 理事長     田村 佳寛
(社)伊丹青年会議所 理事長     岸田 茂男
池田市教委 委員長職務代理     藤田 祥子
大阪国際空港を考える会 会長    小林 光徳
大阪国際空港を考える会 副会長   下平 憲義

コーディネーター    池田市長        倉田 薫


 まず、倉田池田市長の司会ではじまり、橋下知事が15分間発言し、それぞれのパネラーが質問、意見を5分間述べ、同じ5分間知事がそれぞれのパネラーに対し答弁や意見を述べるというルールで行われました。

 橋下知事が全2時間の半分、1時間以上を使って持論の関空のハブ化の必要性やそのための伊丹廃港、売却、「国際学園自由都市」構想をぶち上げましたが、各パネリストからは鋭い反論が次々に浴びせられました。知事の発言は大きなメリハリのある声で、時にはウイットに富み笑いをとる話で実に面白い。
しかし、中身については、多くの方の指摘にもあるように、もっと緻密な数字やシュミレーションに基づいた議論がほしいもので、あれがダメならコレ式の論法では通用しないのではないか。
 そもそも経済合理性や利便性を無視して空港の持続的発展はあり得ません。かつてから主張している通り、オープンスカイやLCCは世界航空事業のすう勢であり、航空会社に選ばれない空港に未来を託するにはリスクが大きすぎます。
 その証拠に、1000人以上入るアゼリアホールのほぼ満員の聴衆に対し、司会者の倉田池田市長が開会冒頭で問うた伊丹廃港賛成者の数が終了時の同じ問いかけに若干増えた程度で「大部分の人が伊丹廃港にNO」を突き付けたものであった。
弁護士橋下府知事の熱弁にもかかわらず「話は面白かったが心動かず」が多くの裁判員?の率直な思いか。

 最後の倉田市長の言葉「橋下知事に権限なし、関空リニアはここにいる人が生きてる間に出来るのか」が妙に説得力がありました。
 しかし、関西経済圏の地盤沈下は空港問題とともに真剣かつ深刻な問題としてとらえることが大切であり、橋下知事が投げかけたこの問題は、立場の違いを乗り越えて取り組むことが大切であると改めて考えさせられました。


 私の意見……関西3空港の問題は、戦略なき航空行 
          政の貧困がもたらした政治の責任であ 
                  り、結果として諸外国と比較して決定的 
                  な競争力の低下につながったと理解し
                  ています。
 しかし、過去の失敗をあげつらっても決して問題解決にはならず、むしろ教訓と生かしながら現実を直視し、次善の策を講ずることが大切です。そもそも空港そのものが大きな利益を生み出すはずもなく、1兆円以上もの有利子負債を抱えて民間が経営できるはずもありません。まずは、元金、金利を含めて国が財務体質の改善に取り組むことが最重要案件です。

 次に、基本的には関西経済圏のポテンシャルを上げ航空需要の総量拡大を実現し、3空港の特徴を生かしたすみわけが重要です。特に、従来型利用拡大のほか、観光立国を標榜し中国、韓国などアジア各国や世界からの観光客の誘致に努力すべきと考えています。(観光客誘致による活性化は大きな投資も必要なく、アジア各国の富裕層拡大もあり最有望)
 また、伊丹を廃港売却した資金で関空リニアを建設しアクセス整備を説いているが、莫大な建設資金を投入し、梅田から関空までの利用者輸送だけで経済的にペイするとはとても思えず、維持費を含めた新たな負債が積み上がるリスク大と思われる。
さらに、伊丹売却後の跡地に「国際学園自由都市構想」をぶち上げているが、その膨大な資金負担はどうするつもりかわからない。(権限も財政的裏付けもない1知事の荒唐無稽なアイデアと心中するわけにはいかないし、先ずは説得できる数字やシュミレーションを示すべき) 

 天下国家や関西経済圏から離れて北摂各市や豊中市の辺境的立場からで恐縮ですが1議員としても発言したいと思います。
現在、大阪国際空港での関係で仕事に従事している人が8500人おり、多くの方が豊中を中心とした北摂隣接市に住んでいます。また、豊中市に限っても航空機燃料譲与税、固定資産税、市民税など多くの税収が確保されています。
しかもこの空港は、全国に100近くある空港のうち数少ない黒字を出している空港であり、経済の原理原則にのっとった利便施設でもあります。(生命維持のため金を出し続けなければ維持できない関空とは別物です)
 私は議員になった7年前、40万都市であり、大阪3大モノづくり拠点の1つである市南西部を抱える当市として産業振興、企業誘致にかかわる条例を持たない不思議さを訴え続け一昨年企業誘致にかかわる条例制定にこぎつけました。
さらに、着陸コース直下にある膨大な跡地利用についても現在信託事業として着手しており、条例適用可能な企業誘致を目指しています。特に、大阪大学や研究機関との産・官・学の連携を目指し、高付加価値型企業や研究開発型企業の誘致に資すべき条例改正も視野に入れています。これも空港や鉄道、高速道路や大阪都心部に隣接する有利性や他地域との差別化からも大きな経営資源です。(空港騒音反対派からも一定の条件を守ってくれれば活性化に賛成の立場であると言明あり)


 結論として大阪国際空港を含めた3空港の存続になんとか知恵を出し、汗も出し、お金も少しくらいは出しながら建設的議論を深めていきたいものです。私自身、橋下大阪府知事の手腕は高く評価しており、これからも協働出来るところはしっかり応援していきたいと思っています。これまでになかった傑出した政治家をこの問題で評価することのないよう心したいものです。


fukuokamasaki at 00:51コメント(0)トラックバック(0)いろいろなお話(by福岡正輝) 

2010年02月12日

 12(金)は、市長から22年度予算の説明が行われました。
これは私が所属する「新政とよなか議員団」に対して行われたもので、全議員を対象にしたものは22日に実施されます。
 22年度予算は4月に市長選挙があるため骨格予算となっており、本格的なものは7月に新市長のもとで組まれます。

 22年度も厳しい税収不足から約100億円規模の財源対策が必要となり、基金の取り崩しや資産売却などが必要となってきます。この日の説明では更なる行財政改革に取り組むなどの説明もありましたが、いかにも対処療法的で決定的なものでもありません。
 私とわが会派は、これまでにも斬新なアイデアや手法を提案し、市も一部については取り組んできました。今後、住宅環境都市としての更なるグレードアップや企業誘致を通じて税収確保の取り組みが喫緊の課題です。

 これからも特定の利益団体や組織拡大を目的とした団体とは一線を画し、市民や市全体の利益を守るべく是々非々の立場で取り組みたいと考えています。


fukuokamasaki at 23:45コメント(0)トラックバック(0)政治に関するお話(by福岡正輝) 

2010年02月09日

 今日は9時に登庁し、10時から開催された「空港問題特別委員会」を傍聴しました。この日の委員会は先般開かれた二つの懇談会(航対連と活性協)の反省と当委員会として次年度にどう申し送るのかというのが議題となりました。
 各委員から空港問題に対する立場の違う二つの団体との懇談を通じて率直に意見交換できたことは良かった。これまでの歴史や経過を改めて認識することができたのは収穫であった。
また、空港問題がこれだけクローズアップされる中で、次年度への引き継ぎにより、しっかり取り組んでもらいたいなど、多くの建設的な意見が述べられました。

 私としては、大阪国際空港の問題は単に豊中市や近隣市の問題にとどまらず、大阪や関西圏、ひいてはこの国の国益にかかわる重大な問題だと考えています。
 この問題を近視眼的なとらえ方やパフォーマンス、どちらについたら損得といった低次元で論じるべきではありません。
そのためにも、現在の特別委員会の位置づけやあり方、メンバー構成(失礼とは思いますが)についても考えるときに来ていると思います。


 午後は、「豊中市箕面市養護老人ホーム組合議会」が開催されました。今年度私は、この議会の議長に就任しており年度最後の議会となりました。
出席者は豊中市、箕面市の両市長、豊中市の2人の副市長をはじめ関係各部長や担当職員、豊中市6名、箕面市3名の議員で構成されています。
 議題は平成22年度の予算についてです。担当職員から来年度の予算内容について説明があった後、各議員から質問がありました。豊中市の4人の議員が質問しましたが、なぜか箕面市の議員からは質問なし。(なぜ質問がないのか不思議です)

 以前にも書きましたが、両市が共同で持っているこの施設は、行財政改革に絡み役所がやらずとも箕面市が主張する完全民営化か豊中市が主張する指定管理者制度を導入し、高コスト体質からの脱却を急がなければなりません。
22年度のあり方検討委員会での決定が待たれます。

 夕方、日のあるうちに帰れたので、運動不足解消も兼ねて防犯パトロールを実施、千里中央から新千里西町を約1時間歩きました。(少し歩くだけでもストレスの解消になります)


 夜は、千里中央コラボ(豊中市の複合施設)で教育委員会主催の「豊中市教育新興計画」についての市民説明会があり傍聴しました。
この計画は、教育基本法の改正(平成18年)により、教育行政の中長期的な目標像を明らかにし、計画的な教育施策を展開するため策定するものです。会場には約45名の出席者がいましたが2/3位は市の関係者で盛り上がりに欠けるものです。

 そうした中で一般の方からいくつかの質問がなされましたが、参加人数も含め今一つ迫力に欠ける説明会だったように思います。それでも豊中市教委の弱点を突く鋭い質問もありました。特に文化・伝統を守る、道徳心や公共についてなど、どのように計画に反映させるのか、数値目標もなく単なるスローガンになっているのではないかなどの質問には、明確な答弁はなく、この計画には更なる検討が必要だと感じました。
 この「豊中市教育振興計画」については、本会議代表質問でしっかり質したいと考えています。


fukuokamasaki at 23:20コメント(2)トラックバック(0)いろいろなお話(by福岡正輝) 

2010年02月07日

 6日(土)は千里公民館で豊中市政策企画部主催「地域課題セミナー」の2回目として、新千里東町広報誌「ひがしおか」ができるまでと題して事例紹介がありました。

 「ひがしおか」が誕生したきっかけは、平成12年4月に私が新千里東町連協(11自治会の集合体で現在は12自治会加盟)の会長に就任し、それまで各団体(公民分館、校区福祉、防犯)が個別に発行していた広報誌を連協も加わり、4団体合同の広報誌としたものです。

 各団体に協力を求め印刷機の購入、共同編集、広告募集の営業など、今考えれば当時の苦労も懐かしさでいっぱいです。
町の主要4団体が新聞発行することで、多くの方との共同作業から相互理解や協力体制の確立、町を良くするノウハウの共有化や地域社会への帰属意識の芽生えなど、大きな収穫がありました。創刊号から2年位新聞発行にかかわり、その後は後任の方々がしっかり受け継いでいただき現在55号が発行されています。

 結局、地域を良くする源は、特定の方だけで出来ることはなく、地域を愛する多くの人々が連携・協力して出来るものです。この新聞づくりを10年前に呼びかけ、苦労しながらも継続できたことが「新千里東町」の持続的発展と地域力向上の源泉になったと考えています。

 創刊当時のスタッフをはじめ、受け継いでいただいているすべての方に、そして何よりも読者である地域の皆様に心より感謝申し上げます。



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