2011年02月

2011年02月28日

 今日は雨の中、3月定例会「現地視察」を実施

しました。参加者は、議員団、2人の副市長を含

めた理事者と事務局職員。午前9時30分に市役

所を出発し、新千里消防出張所(改築)予定場所

を皮切りに6か所を視察しました。


 この6か所の中には、今議会の代表質問の中

で取り上げる問題もあり、現場を熟知することは

必須条件となります。雨の中での視札は大変で

したが、議会質問の中でしっかり取り上げたいと

思っています。

 
 内容については、明日午前中に質問通告がさ

れることになっており、後日詳細な報告をしたい

と考えています。


fukuokamasaki at 23:31コメント(0)トラックバック(0) 
 毎度のことですが、土日は地域での活動が忙

しい。26日土曜日は近隣支援者への訪問や市

民相談を何件かこなし、夕方からは千里中央駅

周辺での街宣活動を実施しました。これまでの

取組み実績や今後取組もうとしている内容につ

いても実に多くの方々が知っており、声掛け励ま

しを頂きます。このことからも私に対する期待が

実に大きく感謝です。


 夜は地元自治会の運営会議に出席しました。

年度末を控え次期体制の話や今年度の活動を

総括する内容が主なものとなりました。また、

数年に一度実施している不要自転車の回収整

理についても3月6日午後実施することが決定。

毎回100台から200台の不要自転車が出てきま

す。まだまだ使えそうなものもあるのにもったい

ないことです。


 日曜日は毎日朝5時から行われている「実践

倫理(朝起き会)」に出席、帰宅後9時からのアド

プトロード(地域美化清掃)に参加しました。今回

は約50名が参加しましたが、途中で携帯電話の

拾得物があり持ち主宅までお届けすることがで

き大変喜ばれました。


 この日は地域新聞「ひがしおか」の編集会議が

行われている最中に、ふとしたことからブレーカ

ーが作動し電源がシャットダウン、パソコンをは

じめ印刷機器も動きません。

救援電話がかかってきたが配電盤のカギがなく

大騒ぎ。複雑な経緯を経て、やっと教頭先生が

つかまり何とか事なきを得ました。

 
 「ひがしおか」は、隔月の1日が発行日となって

おり、スタッフの努力もあって何とか間に合いそ

うです。この新聞、9年前に私が連協会長時代

に提唱し始まったものだけに愛着もひとしおで

す。今では優秀なスタッフたちによりレベルも向

上、私がかかわった初期のころとは雲泥の差

の素晴らしい「地域新聞」となっています。


 関心ある方は、

新千里東町ホームページ(
http://e-senri.jp)

で是非ご覧ください。


 夕方からは習慣となっている千里中央駅での

街宣活動でたっぷりの活動をこなし、早朝からの

長かった1日が終わりました。


fukuokamasaki at 22:56コメント(0)トラックバック(0) 

2011年02月24日

 今年になって「街宣活動」が多くなってきた。特

に2月になってからは、毎日の朝夕どこかでやっ

ている。

市民からの反応は様々で「市政だより」の配布

数については、地元と他の地域では反応が少し

違うが、知り合いが多い地元での街宣は有難く

勇気づけられる。


 ここにきて市民の皆様のリアクションが少し違

ってきた。国政から地方自治体に至るまで国民

(市民)の不満の種は尽きない。私の挨拶に対し

ても全くの無反応はこれまでにもあったが、よく

知っている人からも面と向かって政治家(国政)

に対する強烈な批判が出てきた。言外に地方自

治体も同根だとの思いが感じ取れる。


 根底には国民(市民)が満足できない仕事、高

コストでしかもスピードが遅い。しかし、待遇や身

分保障は民間以上なのに危機感がない。これだ

け厳しいことを言われて反論もできず具の根も

出ない。


 自分自身は確実に成果も出しているし、反論し

ようと思えば出来ないこともない。しかし、8年も

議員として活動していて市政状況を変えられな

い現実に、責任なしとは言えないし無念さと申し

訳なさでいっぱいだ。


 二元代表制民主主義のなかで河村・大村連合

や橋下知事の手法に異論もあるが、現体制が

結果を出せない以上、がぜん説得力を増してき

たと言える。

  

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2011年02月20日

 東丘校区では、去る1月30日の図上訓練に引

き続き、本日、午後1時から「安否確認」の実地

訓練が行われた。豊中市では、震度6弱以上の

地震の揺れが発生した時や市民が避難を必要

とする大規模な災害が発生した時に校区福祉委

員会、民生・児童委員、協議会(実施機関)の協

力を得て安否確認を実施することとしています。


 校区での実地訓練は、午後1時に小学校体育

館前に集合し、担当民生委員から障害者、要援

護高齢者のリストが担当者別に配布されます。

今回の作業は登録者84名のうち72名が出席し

202名の安否確認を行うことになりました。


 さっそく私が担当する3名のお宅を訪問し、名

前を告げ趣旨を説明し面談します。3名の方は

すぐに理解しドアを開け応対してくれました。実

際に災害が起きた時の留意点や行動方法等に

ついて説明し帰ろうとしましたが、なかなか話が

簡単に終わりません。


 それだけ要援護者にとっては、不安感や普段

の孤独を解消するためか、せっかくの機会だか

らしっかり話を聞いてもらおうということかもしれ

ません。ついつい民生委員時代を思い出し一方

的に聞き手にまわることになりました。


 その後、元の集合場所に戻り報告を済ませま

す。各安否確認登録者からは要援護者に会えた

か会えなかったか、その時の問題点等が記録さ

れていきます。

 日々変わっていく状況の中で、正確な情報や

対応方法に工夫が必要になるなど、校区福祉役

員、民生委員の方々のご苦労がしのばれます。

DSCN0954


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 明治44年2月19日生まれの母が今日、誕生日

を迎え100歳となった。男ばかり5人の子どもを

産み、上2人は物心がつくまでに亡くなり、末っ

子である私は随分遅い時の子だ。上2人が丈夫

に育っておればこの世に生を受けなかったかも

しれない。


 今日は母の誕生日を祝い、近所に住む娘たち

も駆けつけ祝いの会となった。我が家恒例のくす

玉を母が割りケーキのローソクを消すのだが、さ

すがにローソクは1本となった。


 母は淡路島で生まれたのだが小学生のときに

家に電燈がついたそうだ。それまではランプを使

っていたからランプのススとりは子どもの日課だ

ったようで、この仕事から解放され夜なべや本読

みが出来るようになった家族の喜びを今でも鮮

明に覚えているという。


 紡績工場で働いた後に船員だった父親と結

婚。当時大阪市港区に住んでいたが、空襲の脅

威から逃れるため田舎に疎開することになった。

終戦後もあの時の恐怖から大阪に帰ることなく、

生まれ故郷の淡路島に定住することとなった。


 その後は昭和36年9月の第二室戸台風で祖

母を含む3人の親族を、11月には連れ合いを海

難事故で亡くしたが、3人の男の子たちを女の細

腕で育て上げた。平成7年には阪神淡路大震災

の直撃を受けたが10年前の90歳まで、弱音を

吐くこともなく淡路島で独り暮らしを続けた。


 今日、100歳の誕生日を元気に迎えたが、ま

だまだやるき満々だ。日課のように新聞を読み

現在の愛読書は柴田トヨ著の「くじけないで」を

何回も読んでいる。時おり涙しながら静かに考え

込んでいるところをみると、明治、大正、昭和、

平成、4つの時代をたくましく生き続けた自分の

人生を重ねているのかも知れない。


 私たち兄弟は、この母の背中を見て育ち、今

の自分があると感謝している。これからも元気で

長生きしてほしい。



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